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劇場版鋼の錬金術師

 この間見てきた劇場版鋼の錬金術師の感想を書こうと思います。
激しくネタバレしている(しかも長い)ので、この続きは「続きを読む」をポチッと押して読んでください。
 
 見終わって一番初めに出てきた言葉は「難しかった」でした。
設定はアニメの最終回から2年後、つまりエドがアルの身体を練成してから3年後の話で、その3年間の間にいろいろ設定が増えてしまっていたようでした。
なので、見ている最中にいろいろと疑問が生まれてしまって、考えながら見ていたら集中できませんでした。
もう一度見たいです。

 オープニングはDVDのジャケットの画像をうまく使ってあってかっこいいOPでした。
ハガレンとエウレカのOPとEDはかっこいいので好きです。
というかEDは鈴木典光さんが好きと言うべきか。

 個人的に一番好きなシーンはラースとグラトニーの戦闘シーンです。
ラースにおける水樹奈々ちゃんの演技は好きですね。
ラースがずっと黙っているのが見てて辛かったです。
私はよくわからなかったのですが、なぜ、グラトニーはアルとラースの二人がいて、ラースだけを攻撃したのでしょうか。
ラースが同じホムンクルスだから?
グラトニーって無差別に食らうのだとばかり思っていたのですが(ラストが居ない場合に)。
あと、どうしてグラトニーは人の姿から化け物の姿に変わっていたのでしょうか。
ラースも、なぜエドの身体だった部分が機械鎧になっていたのでしょうか。

 アルについては疑問がたくさんあるので、ちょっとたくさん書きます。
 まず、どうしてアルは練成陣なしで練成できないのでしょうか。
一度門を通り抜けた身体であるのに。
門を通り抜けても、真理を見ていないということなのでしょうか。
 次に、アルはなぜ自分の魂の一部を鎧に定着させることができたのでしょうか。
アルはまだ、完全に身体を取り戻していなかったということなのでしょうか。
というより、記憶とともに魂も取り戻していなかったというべきですか。
 そして、アルが最後に門を通り抜けて私たちのところでいう現実世界に来た時、記憶を取り戻したのは、アル自身が記憶の代価になったからなのでしょうか。
それとも、アルが門の向こう側に行ったことで、向こう側にあった記憶と合流(合体)した、ということなのでしょうか。
 あと、エドと同じ格好をしているのに、髪を三つ編みしなかったのはなぜなのでしょうか。
ただ単に、結ってくれる人がいなかったからということなのですか。

 あと、もっと疑問に思うことがありまして、門を開ける練成陣がアメストリス側(アルの方)と現実世界側(エドの居た方)とで、違ったのはなぜなのでしょうか。
現実世界側ではエンヴィーの力も借りていたから?
というか、なんでエンヴィーの力を借りると門が開いたのだろうか。
あ、違う違う、練成をするときは必ず門が開くんでしたよね、たしか。
代価が足りないとき、自分が代価として門の向こう側に行かなければならない、と解釈しているのですが、どうなんでしょう。
ああ、考えていたらわからなくなりました。
まず、門を開ける行為ってなんなのですか。
門を開ける練成陣ってなんなのですか。
そこからわかりません。

 もう一つ好きなシーンは、エドがトゥーレ協会のハウスホーファーの研究所に忍び込むときに、割れた硝子で頬を切ってしまって血が出るシーンです。
硝子の割れた窓を見たとき、「どう考えても入るときに硝子の破片で切るだろう、大抵のアニメってそういうところを描かないから嫌だ。」と思っていたら、ちゃんと描いてくれました。
そして、そのシーンがあとあとエドが書きかけの練成陣を完成させるときにも関わってくるんですね。
そのとき、手で頬を擦ったときにできた血の痕も好きです。
おそらく、そのためのシーンだったのでしょうが。

 エッカルトさんがアメストリスで「魔術」を使えたのは一体どういうことなのでしょうか。
あれは錬金術とは違うのでしょうか。
ただ、「魔術」と呼称していただけで、実際は「錬金術」だったのでしょうか。
 エッカルトさんで好きなシーンは、現実世界に戻ってきたときに、人間に似つかわない姿をしていたために銃で撃たれて死んでしまうシーンです。
アメストリスでエドと戦っているときに、エドは門の向こう側からきた人だから自分とは違う化け物だ、と言っていたことを思うと痛々しいです。
エッカルトさん自身も門の向こう側から門を越えて帰ってきたことで、自分が言っていた化け物になってしまったということですね。

 エドが、門を越えてアメストリスにやってきたエッカルト率いる鎧兵と戦わなくてはならなくなったときに、自分が戻ってくることで戦争をする気はなかった、ハイデリヒは戦争のためでなくただ自分のためにロケットを作りたかっただけだ、ノーアはただ門の向こう側の世界で自分を受け入れてくれる国を持ちたかっただけだと言っています。
しかし、実際はそれが基で戦争が起きてしまいます。
多分それが、「世界と無関係でいることなんかできない。」ということなんでしょうね。
ただ、戦争をしたくなかったとはいっても、結局はたった数人でも個人の欲のために起こったことであることには違いないのです。
私には誰が悪いとは言えないけれど、誰も悪くないとは言えません。

 そして、最後に予想もしていなかった事態が起きました。
アメストリスでのエッカルトさんとの戦いを見ている最中に、こりゃあエドはエッカルトさんたちを戻すためにもう一度現実世界に行かないといけないな、とは思っていたのですが、まさかアルまでひっついてくるとは思いませんでした。
しかも極めつけに、兄さんといっしょにいられるところだったらどこでもいいみたいなことをおっしゃっていましたよ。
これが、アルじゃなくてウィンリィだったら愛の告白にしかなりませんね。
そう、この言葉は、兄弟であるからこそ大きな意味を持つと思うのです。
家族って大事よ。

 私はこの映画がハッピーエンドだったかというとそうであったとは思えません。
やっぱり「どうして戻ってきちゃったの?」なんですよ。
エドを門の向こう側の元の世界に戻すために命を失ったハイデリヒとホーエンハイムさんは報われたのでしょうか。
エドの帰りを待って常に機械鎧を持って歩いていたウィンリィの気持ちはどうなるのですか(しかも成長後のサイズもばっちりだったくらいに彼をわかっていたのに)。
アルは気付いていたかどうかは知らないけれど、結構周りのいろんな人々に心配かけていたと思いますよ。
二人だけがよかったね、みたいな雰囲気で終わってしまったのが腑に落ちませんでした。
 が、しかし、今思ったのですが、二人にとって重要だったのはお互いの身体を取り戻すことであって、自分たちの居る世界は関係なかったということなのではないでしょうか。
それとも、お互いが生きていることを知っただけで満足していたエドとアルにとっては、二人が一緒に居られることは願ってもいなかった幸運で、世界のことまで贅沢言えないということなのでしょうか。

 最後のオチはいいですね。
車の運転をしていた二人がスカー(もしくはそのお兄さん?)とラスト(もしくはスカーのお兄さんの彼女?)に似ていたことが笑いになっているのは、アルの旅の記憶が戻ってきたということを表していますから。


 おわーっ!!思っていたより感想が長くなりました。
いや、もう私は、エンディングのテロップで鈴木典光さんと山岡信一さんと千葉道徳さんと大塚健さんの名前が見られただけで満足ですよ。
それだけで見る価値があったというもんですよ。
(↑大馬鹿)

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